中野駅のJR仕様営団券売機(過去ログ)

 中野駅は東西線の反対側、西船橋駅のJR・メトロ・東葉高速の改札が分離されてしまった現在でも、しぶとくJRと東京メトロが同じ改札口を共用しています。

現在では自動券売機もJR・東京メトロの各社各様に別れてしまいましたが、営団地下鉄時代には、JR仕様の営団券売機が設置されていました。

まずは営団線内完結の乗車券。


続いて都営地下鉄連絡特殊割引乗車券。東西線は落合駅付近で大江戸線中井〜東中野間と交差しますが、相互に運賃通算の乗り換え駅としていないため、当時、最も中野駅に近い都営地下鉄との連絡駅は九段下駅でした。(大江戸線環状部はまだ未開業です。)ちゃんと営団・都営の特殊割引乗車券の制式にならって、矢印で金額を示さず、「から」という表記で制式に倣っています。


どんじりは西船橋経由自社線への連絡券。普通、「東日本線」となるところを「東日本会社線」と自社向け乗車券並みに印字していたのが言えて妙です。そして、「西船橋」の駅名縦囲みが意外に小さいことです。この券売機では高田馬場接続西武線の連絡割引券まで発売していましたので、他社向けとは言いながら、かなり綿密に口座を自動券売機に設けていたことが伺えます。

ちなみにこの西船橋接続自社線向けの連絡券で今になって「謎」と思えるのが、「東西線経由」の文字がないことです。JRと東京メトロが普通券の連絡運輸を行う東西線、千代田線、有楽町線のいずれも、「何々線経由東日本線」の語句が表題として付けられていますので、やはり、自社向けということからか、ちょっと手を抜いてしまったのかもしれません。

西日暮里地下鉄経由の硬券

 JR東日本になってからも、自動券売機に西日暮里〜北千住千代田線通過の連絡乗車券の口座が設けられず、硬券末期まで平然と発売していた駅がありました。

中央線千駄ヶ谷駅では、1990年秋の時点で、普通に千代田線通過の連絡乗車券を発売しており、このあとにJR全線から硬券が消滅してしまう!という悲劇は、当時夢想だにできませんでした。現在のようにインターネットなどに気軽にアクセスして情報をリアルタイムに取り出すことが不可能な当時、とにかく現場で情報収集しなければいけなかったことを覚えています。

券の様式は当時の山手線方向→常磐線方向のスタンダードである「西日暮里地下鉄経由」で「地下鉄」の活字がゴシック体になっています。サイズはAサイズ、地紋は当日限り有効なので赤色地紋を採用しています。そして1988年を過ぎているので、地紋はJNR・こくてつではなく、JR<E>の東日本自社地紋を用いています。

西銀座駅ってご存知ですか?

 いまの丸ノ内線銀座駅は、開業から日比谷線開業で東側の銀座線銀座駅と連絡するまで、「西銀座駅」と名乗り、別駅でした。

学生時代に新図書館を開設する蔵書点検のバイトをやっていたとき、寄贈された小説本のすき間から発掘されたのが本券です。当然、ギャランティーも頂きましたが、「鉄道に関するものなら、キミにあげよう」と司書さんの計らいで、廃棄物ゆきから一転、私のコレクションになりました。このときに点検していた蔵書には、終戦直後のものが多数あり、紙質はボロボロ、当然旧かな遣い、円ではなく銭まで単価にあるという、ある意味難儀でもあり、近代日本史も知る大変有意義なバイトでもありました。

裏面には注意事項がありますが、「西銀座駅発行(45」の循環番号から言うと、どうも硬券の自動券売機に入っていたような気がします。表面の日付印字が甘くて判読できない現状から見ても、そう考えたくなります。

ちなみに券の保管状況は大変良好で、半世紀も昔の硬券とは思えないほど、表面の"JPR・てつどう"の地紋が鮮やかな印刷で表現されています。

行徳・妙典・原木中山〜下総中山・船橋法典間の妙な「割引」表示

 学生時代、東西線の行徳駅近くに住んでいた同期生に西船橋連絡のJR線のうち、営団(当時)・JRの割引額が異なる連絡割引乗車券購入を頼みました。なんと見た事もない様式でした。様式は現在もほぼ変わりがありません。

国電地下鉄隣接2駅東西線では落合地下鉄高田馬場原木中山行徳千代田線では綾瀬を運賃接続駅としないため、地下鉄町屋西日暮里)は連絡普通乗車券の場合、双方の運賃を割り引くという1984年ごろに当時の運輸省の指導で始まった国電〜私鉄、地下鉄の連絡割引運賃制度では、隣接2駅の間に3駅目が開設されても、連絡割引の対象区間に編入する。という制度が設けられています。丸ノ内線西新宿駅は新宿〜中野坂上間に1996年に開業しましたが、新宿接続小田急、京王、西武の連絡割引区域はそのまま現在に至ります。

そして、当時営団最長駅間を誇った東西線行徳〜原木中山間に存在した下妙典信号所を2000年に格上げ、「妙典駅」になりました。行徳駅は西船橋から3駅目になりますが、未だに西船橋接続の割引区域です。


割引乗車券のうち、下総中山・船橋法典着となるものは、普通、「割引」の印字がある箇所に印字がなく、着駅の下に大きく、「割引」表示があります。

運賃はJR130+メトロ160=290=割引10円(両社で5円ずつ)=280円という算式のようです。

同じ西船橋から130円区間である船橋は、

JR130+メトロ160=290-割引20円(両社で10円ずつ)=270円

になっています。要は「乗り入れ区間か否か」で割引額を変えたのかもしれません。中野側にはこういった現象がないので、余計目立ちます。

千代田線、東西線通過連絡券

 千代田線は常磐線綾瀬〜我孫子間の緩急分離の対価として山手・京浜東北線(帰属は東北本線)に西日暮里駅が設置され、亀有〜取手、吉川〜新八柱間の各駅と都心側の各駅(中央線は三鷹、東北線は大宮、東海道線は横浜、根岸線関内まで)の通過連絡運輸が設定されています。

東西線は中野〜西船橋間、国鉄をバイパスする形で敷設しましたが、現在のICカード運賃制度では、平日に何本かある東西線通過列車にICカードのSF部分で乗車すると、乗車してもいない御茶ノ水経由の運賃を差し引かれることになっていて、「複数経路がある場合で改札口を出ないで乗り継ぐ場合は最短の経路で運賃計算」という規則に背反しているような気もします。

現在の千代田線通過連絡券は常磐線側、都心側共に「(千代田線との運賃接続駅である西日暮里または北千住の両脇に)着駅を矢印で示す」タイプに変わり、旧来の「西日暮里地下鉄経由」という駅名表示式を採用しているのは、北綾瀬までの連絡乗車券の一部だけとなっています。


かつて「西日暮里地下鉄経由」が当たり前だった頃の東京駅の券売機では、「地下鉄千代田線経由」と異なった表示がされた通過連絡券がありました。西日暮里駅には「西日暮里経由と表示されていない乗車券は当駅で精算して下さい」という看板がありますので、誤解を招きかねない表現ではありました。


そして同じ運賃帯になる田端から北柏・新三郷・新八柱への通過連絡券。三駅が横に細く、縦三段に並び、壮観でありました。これは「西日暮里地下鉄経由」になっています。


現在でもこの様式を堅持している「地下鉄東西線経由」。東西線とJRが普通旅客の連絡運輸を行っているのは両端の中野・西船橋ですから、いたずらに様式を変更し、見にくくしても意味がありません。また通過連絡範囲が千代田線のそれほど広範囲に及んでいない事が様式を変更しないで済む要因かもしれません。

営団地下鉄の回数券専用スタンパーもどき

 その昔、営団地下鉄と都営地下鉄には「回数券日付駅名印字機」が自動改札機のない駅に配備されていました。金額式発駅フリーの回数券を印字機に投入すると、乗車年月日、乗車駅名が印字されて返却されてくるシステムです。磁気エンコード券が登場しても駅の自動改札化が行われていない駅にはしぶとく残り、印字機を利用したときは、下車駅では強制的に係員改札口に行かねばならないことになっていました。

その印字機が故障した時の対策なのか、まだスタンパーがメジャーになっていなかった頃に、スタンプ台を用いて「乗車年月日・乗車駅名」を押印できるデーター印がありました。スタンプ右側に改札鋏の代表的痕形である"M"型(しかも90度左向き)の中に"済"という活字が組み込まれています。

これは綾瀬駅の始発があまりにも早いため、早朝は改札口を無人開放し、「回数券利用の方は窓口まで」という案内に従って、東口のマルス端末がある出札窓口にお一人常駐されていた係員さんに回数券を差し出して捺印していただいたものです。

現在はおそらく、スタンパーに置き換わっているものと思います。これだけの「非常用回数券改札データー印」を用意しても、用途が少なくなってきている現状では、改札口にあっても引き上げで返納、ないし駅事務所に引き上げで「本当の非常用」になっていると思います。

営団地下鉄の(ム)券

 中学校の修学旅行の帰路、「団体旅客乗車票」を東海道新幹線車内で配布され、

東京都区内旅客鉄道会社線有効

という表示と感熱紙、エドモンソン券に何となく詰らなさを覚えました。

ふと山手線の車内で思い立ったのが、

この券を原券として西日暮里駅の連絡精算所に提出し、都区内を外れる”北松戸まで”と申告するとどんな乗車券が発行されるのか

でした。

連絡精算所の営団(当時)係員氏は団体旅客乗車票と「西日暮里から営団線140円区間(当時の北千住までの片道普通旅客運賃)乗車券」をホッチキス留めし、表面に「(ム)」のゴム印表示を行い、


かつ裏面に



(ム)営団分収受済、JR分は着駅にて再度精算して下さい

のゴム印での証明がなされました。営団地下鉄・東京地下鉄の歴史でも「普通乗車券の買替表示」を示す「(ム)」の普通乗車券が自動券売機で発売された。という記録は聞いた事がありません。

なお、係員精算機の代替に伴い、このようなケースは以後、千代田線西日暮里〜北千住+常磐線の東京都区内最終駅である金町駅〜着駅までの特殊な区間変更券を一枚でを発行できるようになり、現在この制度は行われていない模様です。

精算と清算、営団と都営

 都営地下鉄線には「都営地下鉄線260円区間」と「東京メトロ線連絡260円区間」の紛らわしい運賃区分があります。現在ですと、すべてのメトロ・都営乗り継ぎ駅には自動精算機があり、またそれで対応できない場合には各々地図式補充券や係員処理機が配備されて前者を購入し、東京メトロ線に乗り継ぐ場合は、「領収金額0円」の連絡区間変更券で乗り継ぐ事になると思います。

かつての営団、都営では「ハンコ区変」とも言える「後回し精算」を行っていました。

いかんせん20年近く前の感熱紙のため印字が薄くなっていますが、券の左上から右下にかけて

区変都営線・着駅精算(営大手)

のゴム印があります。

そして反対側都営地下鉄線では


区変営団線着駅清算(都手)

この「精算」と「清算」の違い、辞書を見ますと前者は「運賃を精算する」などの用法が載っていますが、後者は「後始末を付ける」などの意味を持っているようで、「着駅で運賃差額を支払ってください」の用法に後者は当てはまらないようです。

なお、現在の東京メトロ線〜都営地下鉄線でこのような「後回し精算」は「原則ご法度」となっているそうで、駅には現在、このようなゴム印の設備はない。とある連絡接続駅の係員さんがお話し下さいました。確かに、東京メトロ線、都営地下鉄線乗り入れ先である第三者線へこのまま乗り継がれたときの営団・都営の運賃按分が分からなくなる!という理由で、1993年5月、市ヶ谷駅乗り換え口に東洋電機製造製の「乗り継ぎ精算機」(管轄は都営)が鳴り物入りで納入されたのを覚えています。

2012年×うるう年×業平橋駅硬券入場券

 もう3か月も前の事ですが、今年はうるう2月が29日までありました。

私は「もう二度とうるう年が訪れる事がない駅」に当日、出没しました。

それは名にし負う東武伊勢崎線業平橋(現・とうきょうスカイツリー)駅。当時既に3/17の駅名改称のカウントダウンを行っており、当日、東京は雪でしたが、出掛けて硬券入場券を仕入れました。


改称フィーバーでは当日の3/17の一日で、「とうきょうスカイツリー」駅名義の入場券が数千枚売れたという異常な数値を示しましたが、2/29はひっそりと静まり返っていました。

悲しみの無人化・・・比奈駅

 3/17ダイヤ改正では昨年の3・11ショックでマトモなダイヤ改正が出来なかったお返し!とばかりにJR、とくに東海道線方面に大ナタが振るわれました。静岡車両区373系東京定期乗り入れ廃止、逆にE231系の御殿場線乗り入れ廃止、そして山北・駿河小山駅無人化、特急「あさぎり」号の相互直通廃止、キハ5000型時代と同じ小田急MSE片乗り入れに変更、JR貨物では吉原駅の車扱貨物廃止すなわち岳南鉄道との貨物連絡運輸廃止ととてつもない変更が待っていました。
 数年前、千代田線直通ロマンスカー計画が持ち上がった時から、「メトロあさぎり」号としてのスペックを小田急60000型は持ち合わせている。とネットを騒がしていましたが、現に6両固定編成は小田急(D-ATS-P)・東京メトロ(ATC-10)・JR東海(ATS-PT)の3社の保安装置や列車無線、誘導無線装置を装備している事になります。これは特急車としては仲々の重装備だと思います。


その余波を喰らったのが、岳南鉄道比奈駅。3/16限りで係員配置がなくなり、3/17からは「無人駅」となりました。

乗車記念に頂いた乗車券の裏面に捺して頂いた「無効_比奈」の無効印です。無人駅ではこのようなスタンプ収集もできなくなり、一抹の悲しさを禁じえません。

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